陰陽師を扱った小説やドラマで、若き日の安倍晴明に「天文得業生」という肩書きが添えられているのを見かけることがあります。耳慣れない言葉ですが、これは創作上の役職ではありません。
得業生(とくごうしょう)は、古代の教育制度で、通常の学生の中から選ばれ、より専門的な学問・技術を修めた上級の修習生を指します。陰陽寮にも陰陽・天文・暦の各分野に得業生が置かれ、将来の専門官人を育てる仕組みの一部になっていました。
「得業生」は、陰陽師を養成するための特別な呼称ではありません。大学寮や典薬寮などにも置かれた上級教育の制度で、天平2年(730)には陰陽寮にも得業生が設けら…
『延喜式』巻十六・陰陽寮は、陰陽生・暦生・天文生の中から得業生を選ぶことを定めています。性質・識見が聡明な者を選び、専門の学問を深く修めさせる趣旨も記されています。
陰陽寮の教育系統は、分野ごとに上へ続く形になっていました。
得業生という段階は、専門の官職へ進む人材の養成と結びついていました。陰陽寮では、博士や陰陽師といった専門職への登用を支える教育段階として機能したと考えられます。
安倍晴明の官歴を扱う後世の史料には、晴明が「天文得業生」として現れる例があります。そのため創作では、陰陽師になる前の学校での階級のように描かれることがあります。
01|陰陽寮だけの制度ではなかった
「得業生」は、陰陽師を養成するための特別な呼称ではありません。大学寮や典薬寮などにも置かれた上級教育の制度で、天平2年(730)には陰陽寮にも得業生が設けられたことが確認できます。
陰陽寮では、陰陽得業生3人、天文得業生2人、暦得業生2人が置かれたとされます。人数が細かく決められていたことからも、行き当たりばったりの制度ではなかったことが分かります。
02|普通の「生」から選び抜かれた
『延喜式』巻十六・陰陽寮は、陰陽生・暦生・天文生の中から得業生を選ぶことを定めています。性質・識見が聡明な者を選び、専門の学問を深く修めさせる趣旨も記されています。
つまり得業生は、最初から別の学校へ入る学生というより、各分野の学生から選抜された上級コースに近い存在でした。まず学生として入り、そこで頭角を現した者が進む道だったわけです。
03|陰陽・天文・暦の三分野それぞれに置かれた
陰陽寮の教育系統は、分野ごとに上へ続く形になっていました。
- 陰陽生 → 陰陽得業生
- 天文生 → 天文得業生
- 暦生 → 暦得業生
『延喜式』では定員を陰陽3人・暦2人・天文2人としています。三つの分野が並び立っていた点は、陰陽寮が占いだけの役所ではなかったことを示しています。
得業生は陰陽師だけの特殊な身分ではなく、各専門分野の学生から選ばれる上級修習生でした。
陰陽分野では陰陽生から上級修習生が選ばれます。
天文分野にも選抜された得業生が置かれました。
暦分野でも専門学を深める上級修習生が選ばれます。
04|何を目指して学んだのか
得業生という段階は、専門の官職へ進む人材の養成と結びついていました。陰陽寮では、博士や陰陽師といった専門職への登用を支える教育段階として機能したと考えられます。
ただし、得業生になれば必ず博士になれたわけでも、全員が陰陽師になったわけでもありません。実際の任官は、その時々の人事や、知識が特定の家に受け継がれていく家学化の動きにも左右されました。
05|安倍晴明とも関わりのある言葉
安倍晴明の官歴を扱う後世の史料には、晴明が「天文得業生」として現れる例があります。そのため創作では、陰陽師になる前の学校での階級のように描かれることがあります。
けれども制度全体を見れば、得業生は晴明ひとりに与えられた特別な称号ではなく、奈良時代から存在した専門教育の制度です。晴明個人の官歴をたどるときは、その記述がいつの史料に載っているのかを合わせて確かめておくと、伝説と制度史を取り違えずにすみます。
06|「大学院生のようなもの」と言えるか
高度な専門教育を受けた選抜者だったため、現代の大学院生にたとえられることがあります。分かりやすい説明ではありますが、律令国家の官人養成制度と現代の大学院制度は、目的も仕組みも別のものです。
たとえを使うなら、学生から選抜された専門官人候補の上級修習生、と理解しておくほうが誤解が少なくなります。
07|史料を読むときに気をつけたいこと
参考:『延喜式』巻十六 陰陽寮 / 『古事類苑』方技部・暦道上 / 細井浩志「奈良時代の暦算教育制度」 / 山川『日本史小辞典』
※得業生の定員や運用には時代差があります。異なる時期の記述を、一枚の組織表のようにまとめて読まないよう注意してください。