安倍晴明の物語には、たいてい師匠役が登場します。その役を担うのが賀茂忠行(かものただゆき)です。平安中期の陰陽家として知られ、後の世には「晴明の才能を見抜いた名師」として繰り返し語られてきました。
ただ、この人物を読むときには少し注意が要ります。官人としての忠行の姿と、説話が描き出した師匠像とは、同じ濃さで分かっているわけではないからです。この記事では、その二つを分けながら忠行という人物をたどります。
平安時代に入ると、陰陽寮(おんみょうりょう)が扱う専門知識は、次第に特定の家系で受け継がれるようになっていきました。賀茂氏は、のちに暦道(れきどう)の継承家…
忠行の名が広く知られているのは、後世の説話や人物伝で安倍晴明の師とされてきたからです。幼い晴明が鬼や異形のものを見る力を示し、それに忠行が気づいたという筋書…
研究の上では、忠行は平安中期の陰陽家・賀茂氏の人物として位置づけられています。一方で、官職の歴任や具体的な活動を一つずつ確定させるには、同時代あるいはそれに…
忠行を晴明物語の脇役としてだけ眺めると、陰陽道史の大きな動きを取り逃がしてしまいます。平安期には、暦・天文・陰陽に関する高度な知識が、役所の中の教育だけでな…
忠行について調べるときは、少なくとも次の層を分けておくと混乱しません。
01|賀茂氏と陰陽道のつながり
平安時代に入ると、陰陽寮(おんみょうりょう)が扱う専門知識は、次第に特定の家系で受け継がれるようになっていきました。賀茂氏は、のちに暦道(れきどう)の継承家として大きな位置を占めることになる一族です。
忠行はその流れの前段に立つ人物で、子の賀茂保憲(かものやすのり)へとつながります。保憲の時代になると、賀茂氏と安倍氏による暦・天文の家学化がいっそうはっきりしてきます。
02|「晴明の師」という知名度
忠行の名が広く知られているのは、後世の説話や人物伝で安倍晴明の師とされてきたからです。幼い晴明が鬼や異形のものを見る力を示し、それに忠行が気づいたという筋書きは、晴明伝説の中でもとりわけよく知られた場面です。
もっとも、こうした劇的な一幕を同時代の史料で確かめられる事実として扱うことはできません。師弟関係として伝えられてきたことと、説話の中の具体的な場面とは、分けて受け取るのが読み方としては安全です。
03|官人としての姿はどこまで分かるか
研究の上では、忠行は平安中期の陰陽家・賀茂氏の人物として位置づけられています。一方で、官職の歴任や具体的な活動を一つずつ確定させるには、同時代あるいはそれに近い史料をさらに精査する必要があります。
そのため、後世の伝記を根拠に細かい官歴を埋めたり、「史上最高の陰陽師」といった評価を添えたりすることはしていません。分かっていないところは、分かっていないままにしておくほうが誠実です。
04|見落としたくないのは家学化の流れ
忠行を晴明物語の脇役としてだけ眺めると、陰陽道史の大きな動きを取り逃がしてしまいます。平安期には、暦・天文・陰陽に関する高度な知識が、役所の中の教育だけでなく、家の財産として受け継がれるようになりました。
忠行から保憲へ、さらに賀茂・安倍の両系統へ続いていく流れは、陰陽道が専門家集団の家学として育っていく過程を考えるうえで欠かせません。名師の逸話より、こちらのほうが忠行という人物の芯に近いかもしれません。
05|史実と伝説を分けて読む
忠行について調べるときは、少なくとも次の層を分けておくと混乱しません。
- 史料や研究で確認できる人物の存在と、陰陽道史上の位置
- 賀茂氏の家学が形づくられる過程との関係
- 晴明の師として伝えられてきた関係
- 鬼を見る少年晴明など、後世の説話に属する場面
最後の層を、人物年表の史実欄へ注記なしで書き込んでしまうと、読む人が史実と受け取ってしまいます。そこだけは気をつけてください。
「晴明の師」という有名な像だけに寄せず、確認できる層と後世の物語層を分離します。
平安中期の陰陽家としての位置づけを確認します。
賀茂氏の家学形成との関係を見ます。
師として伝えられる関係を、具体逸話とは分けます。
鬼を見る晴明などの劇的場面は後世説話として扱います。
06|晴明伝説を読み直すために
次に晴明の物語に触れる機会があれば、忠行が出てくる場面で一度立ち止まってみてください。その描写がいつ書かれたものなのかを確かめるだけで、人物像の見え方が変わります。名師としての忠行と、賀茂氏の家学を次代へ渡した陰陽家としての忠行。二つを重ねずに眺めると、平安の陰陽道がどう育っていったのかが見えてきます。
参考:繁田信一『陰陽師と貴族社会』 / 国立歴史民俗博物館「陰陽師とは何者か」
※賀茂忠行の官歴や師弟関係について、最も古い記載がどこにあるかは今後の史料調査の対象です。説話に描かれた場面を史実として断定することはしていません。