陰陽師といえば安倍晴明の名がまず挙がりますが、その晴明と並んで平安中期の陰陽道を語るうえで欠かせないのが賀茂保憲(かものやすのり、917–977)です。暦と天文という二つの専門知識が、賀茂氏と安倍氏という家に受け継がれていく。その転換点に立っていた人物です。
保憲については「暦道を子の賀茂光栄(かものみつよし)へ、天文道を弟子の安倍晴明へ伝えた」という説明がよく知られています。わかりやすい整理ですが、この話がいつ、どの史料に書かれたものかを意識しておくと、理解の深さが変わってきます。
保憲は、暦博士・天文博士・陰陽頭(おんみょうのかみ)などを歴任した人物として、研究書や辞典に整理されています。父は賀茂忠行(かものただゆき)とされ、子の光栄…
国立天文台暦計算室は、保憲が暦道を子の光栄へ、天文道を晴明へ託し、以後、賀茂家が暦道を、安倍家が天文道を専門的に受け継いでいったと概説しています。
後世の官職解説や家伝では、賀茂氏は暦、安倍氏は天文、という分化がはっきりと語られます。これらは家学がどう成立したのかを知るための重要な資料ですが、保憲本人が…
日本では、貞観4年(862)から宣明暦(せんみょうれき)が長く用いられました。賀茂氏はその後、暦家として暦法や日月食の計算といった専門知を伝えていきます。国…
保憲は安倍晴明との関係で紹介されることが多い人物です。しかし、それだけで済ませてしまうと見落とすものがあります。暦と天文の双方に関わり、賀茂氏と安倍氏という…
01|暦にも天文にも通じた人物
保憲は、暦博士・天文博士・陰陽頭(おんみょうのかみ)などを歴任した人物として、研究書や辞典に整理されています。父は賀茂忠行(かものただゆき)とされ、子の光栄、そして安倍晴明へと続く専門知の継承を考えるとき、その中心に置かれる存在です。
平安中期の陰陽道では、それまで官司のなかで共有されていた専門知識が、しだいに特定の家で受け継がれる「家学(かがく)」の色を強めていきました。保憲が生きたのは、まさにその移り変わりの時期にあたります。
02|「暦は賀茂、天文は安倍」という分かれ方
国立天文台暦計算室は、保憲が暦道を子の光栄へ、天文道を晴明へ託し、以後、賀茂家が暦道を、安倍家が天文道を専門的に受け継いでいったと概説しています。
この流れは、日本の暦と陰陽道の歴史を理解するうえで大切な筋道です。ただし、977年のある一度の決定によって、二つの家の職掌が法的に完全に固定された、というほど単純な話ではありません。その後も官職の兼任があり、家系も変化しています。数百年単位の制度の歴史として眺めるほうが、実態に近いといえます。
一度の決定で完全固定されたと断定せず、長期的な専門継承の流れとして整理します。
保憲から子の賀茂光栄へつながる暦の専門継承として説明されます。
保憲から安倍晴明へつながる天文の専門継承として説明されます。
03|有名な「二分」の物語をどう読むか
後世の官職解説や家伝では、賀茂氏は暦、安倍氏は天文、という分化がはっきりと語られます。これらは家学がどう成立したのかを知るための重要な資料ですが、保憲本人が生きた時代の証言そのものとはかぎりません。
たとえば「保憲が臨終の場で光栄と晴明を呼び、二つの学問を正式に分け与えた」という劇的な場面。小説やドラマで見かける描写ですが、これを同時代の事実として受け取る前に、その話がどこに書かれているのかを一度確かめてみてください。出典をたどる習慣があるだけで、物語と記録の区別がつけやすくなります。
04|賀茂氏と宣明暦
日本では、貞観4年(862)から宣明暦(せんみょうれき)が長く用いられました。賀茂氏はその後、暦家として暦法や日月食の計算といった専門知を伝えていきます。国立天文台には、賀茂家の秘本として伝えられた暦学の資料も残っています。
ですから保憲を知ることは、一人の陰陽師の伝記を読むだけで終わりません。宣明暦がどう運用されたか、暦の家がどう形づくられたか、安倍氏の天文道はどうなったか、そして近世の改暦(かいれき)へどうつながるか。その長い流れへの入口になります。
05|「晴明の師」という肩書きだけでは足りない
保憲は安倍晴明との関係で紹介されることが多い人物です。しかし、それだけで済ませてしまうと見落とすものがあります。暦と天文の双方に関わり、賀茂氏と安倍氏という二つの家の学問が形づくられる過程をつないだ人物として見る。そうすると、平安陰陽道の制度がどう動いていたのかが立体的に見えてきます。
06|この人物をさらに調べたいときは
賀茂保憲は、賀茂氏の暦道と安倍氏の天文道という家学の分かれ方を説明するとき、中核に置かれる陰陽家です。一方で「保憲が一度の決定で学問をきれいに二分した」という語り口は、どの時代の史料に基づくものかを確かめたうえで受け取りたいところです。長い時間をかけた家学化の過程のなかに置くと、無理なく理解できます。
調べを進めるなら、まず国立天文台暦計算室の暦の解説を読み、そのうえで陰陽道の制度史を扱った書籍にあたるのが近道です。人物伝から入るよりも、暦と天文という職掌の側から入ったほうが、保憲の位置が見えやすくなります。
参考:国立天文台暦計算室「渋川春海と『天地明察』III」「日本の暦」 / 国立歴史民俗博物館「陰陽師とは何者か」
※家学の分化についての説明では、同時代の史料、中世以降の官職解説、近代の概説を、同じ強さの根拠としては扱っていません。