安倍晴明(あべのせいめい)の名前は知っていても、その子孫がその後どうなったのかまでは、あまり語られません。晴明の家の流れを引き、天文道・陰陽道の家学(かがく)を受け継いだ家として知られるのが、土御門家(つちみかどけ)です。
近世には、朝廷の陰陽道祭祀に関わるだけでなく、幕府の宗教政策のなかで全国の陰陽師を統括する権威を強めました。この記事では、土御門家に何が受け継がれ、何が時代ごとに作り替えられたのかを、順に見ていきます。
平安期以降、天文道は安倍氏が専門的に受け継ぐ傾向を強めていきます。安倍晴明の子孫は天文・陰陽の官職と家学を継ぎ、中世以降、その有力な系統が土御門家と称されるようになりました。
律令制の陰陽寮(おんみょうりょう)が機能していた古代と、近世の土御門家とでは、置かれた制度の環境がまるで違います。中世以降、朝廷の官制が変化していくなかでも…
近世陰陽道研究では、江戸幕府が宗教者や芸能者を統制する政策のなかで土御門家に陰陽師支配を認め、土御門家がその権限を使って各地の陰陽師などを組織化していった過程が論じられています。
近世の陰陽道を見るときは、土御門家だけを追っていると全体像を見誤ります。奈良を拠点とした幸徳井家(こうとくいけ)も重要で、研究では両家の陰陽道・暦道上の役割…
土御門泰福(つちみかどやすとみ、1655–1717)は、近世の土御門家と陰陽道を理解するうえで欠かせない人物です。この時期に、陰陽道の祭祀や神道思想、地方陰…
01|安倍晴明の家名は「土御門」ではなかった
平安期以降、天文道は安倍氏が専門的に受け継ぐ傾向を強めていきます。安倍晴明の子孫は天文・陰陽の官職と家学を継ぎ、中世以降、その有力な系統が土御門家と称されるようになりました。
ですから「土御門家は晴明本人の家名」と考えるのは正確ではありません。晴明の時代はあくまで安倍氏であり、後世の子孫の系統が土御門家として展開したものです。系図で名字が変わる場面は、こうした家の歴史ではよくあることです。
02|家が続くことと、制度が続くことは別
律令制の陰陽寮(おんみょうりょう)が機能していた古代と、近世の土御門家とでは、置かれた制度の環境がまるで違います。中世以降、朝廷の官制が変化していくなかでも、安倍氏系の家は天文・陰陽の知識や儀礼を家職(かしょく)として保ち続けました。
ここで気をつけたいのは、家が続いたことを、制度が変わらなかったことと同じに扱わない点です。近世の土御門家は、陰陽道祭祀・暦・占術などに関わる権威として改めて位置づけられ、地方の陰陽師や関連する宗教者・芸能者との関係も、この時代に新しく形づくられていきました。
03|江戸幕府のもとで築かれた全国の陰陽師支配
近世陰陽道研究では、江戸幕府が宗教者や芸能者を統制する政策のなかで土御門家に陰陽師支配を認め、土御門家がその権限を使って各地の陰陽師などを組織化していった過程が論じられています。
この事実は、近世の土御門家が古代陰陽寮の単なる延長ではなかったことを示しています。朝廷の家職、幕府による統制、地方の陰陽師集団という複数の制度が、同時に重なり合っていたからです。「日本中の陰陽師が古代からずっと土御門家の配下だった」という説明は、この点で成り立ちません。
04|奈良の幸徳井家という、もう一つの家
近世の陰陽道を見るときは、土御門家だけを追っていると全体像を見誤ります。奈良を拠点とした幸徳井家(こうとくいけ)も重要で、研究では両家の陰陽道・暦道上の役割や、競合と分担のありようが論じられてきました。
全国的な支配や組織化は、あくまで近世の政治制度のなかで形づくられたものです。時代を区切って考えることで、それぞれの家の立ち位置がはっきりしてきます。
05|土御門泰福と、近世の作り直し
土御門泰福(つちみかどやすとみ、1655–1717)は、近世の土御門家と陰陽道を理解するうえで欠かせない人物です。この時期に、陰陽道の祭祀や神道思想、地方陰陽師に対する権威などが改めて整えられていきました。
一方で、暦を作る実務の面では、貞享改暦(じょうきょうかいれき)以後、幕府天文方(てんもんかた)の役割が大きくなります。土御門家が古代から明治まで日本の天文学と暦をすべて独占していた、という説明もまた正確ではないわけです。
06|何が継がれ、何が変わったのか
土御門家の歴史を読むときは、少なくとも次の四つを分けて考えると整理しやすくなります。
- 血統――誰が誰の子孫か
- 知識――天文・陰陽・祭祀・占術など、何が家学として伝えられたか
- 官職――どの官職・家職と結びついたか
- 権限――誰を認定し、統制できたのか
この四つは、時代によって重なったり離れたりします。系譜が続いていても権限が変わることがありますし、制度が変わっても知識や儀礼が受け継がれることがあります。「継承」の一語で済ませず、何が継がれたのかを具体的に見ていくと、家の歴史が立体的に見えてきます。
家が続くことと、知識・官職・権限が同じ形で続くことは同義ではありません。
安倍氏から土御門家へ続く系譜を見ます。
天文・陰陽・祭祀・占術などの継承内容を分けます。
時代ごとの官職・家職との関係を確認します。
近世の陰陽師支配など、制度上の権限変化を見ます。
07|明治初年に制度の足場を失う
明治政府の制度改革によって陰陽寮は廃止され、近世的な陰陽道統制も解体されました。国立公文書館には明治3年(1870)11月29日付の「陰陽道聴務者処分」に関する行政文書が残り、研究上もこの時期が近世陰陽道組織の解体過程として扱われています。
ただし、これは陰陽五行・暦注・方位観といった文化そのものが突然消えたことを意味しません。国家制度や家職としての陰陽道と、民間に残った知識・習俗は、分けて考える必要があります。
08|家系図の先にあるもの
土御門家は、安倍氏系の家として天文道・陰陽道の知識を受け継ぎ、近世には幕府の政策と結びつきながら陰陽師支配の権威を強めた家です。その歩みは、古代陰陽寮がそのまま続いたものではありませんでした。
晴明を主人公にした物語として読むのも楽しいですが、血統・知識・官職・権限を分けて追ってみると、知識と権限がどう受け渡されてきたかという別の物語が見えてきます。京都の土御門町や、各地に残る陰陽師関係の資料を訪ねるときにも、この視点が役に立ちます。
参考:林淳『近世陰陽道の研究』吉川弘文館 / 遠藤克己「江戸期における陰陽道と暦道――土御門家と幸徳井家」 / 国立公文書館デジタルアーカイブ「陰陽道聴務者処分」 / 国立歴史民俗博物館「陰陽道と伝承文化」
※土御門家を「古代から一貫した全国陰陽師の中央組織」と説明する資料に出会ったら、どの時代の話かを確かめて読んでください。