「陰陽道(おんみょうどう)は明治に廃止された」という説明をよく見かけます。ただ、この一文だけでは、いったい何が終わったのかがわかりません。実際に明治初年になくなったのは、陰陽寮(おんみょうりょう)や土御門家(つちみかどけ)を軸にした国家公認の職制と権限でした。
方位や暦注(れきちゅう)、干支といった文化まで、同じ日に一斉に消えたわけではありません。この記事では、制度としての陰陽道に何が起きたのか、暦と天文の仕事はどこへ移ったのか、民間には何が残ったのかを順にたどります。
古代の陰陽寮は、中務省(なかつかさしょう)に属して天文・暦・占術・時刻管理を扱った律令官司でした。平安期以降は陰陽師の実務や祭祀が発達し、賀茂氏・安倍氏など…
明治維新後、新政府は旧来の朝廷官制・身分制度・宗教行政を大きく再編しました。その過程で陰陽寮も廃止され、暦や天文の業務は近代国家の新しい機関へ組み替えられて…
国立公文書館デジタルアーカイブには、明治3年(1870)11月29日付の「陰陽道聴務者処分」という太政官(だじょうかん)文書が残されています。近世陰陽道研究…
陰陽寮が担ってきた暦・天文の知識は、制度が解体されたからといって不要になったわけではありません。近世にはすでに幕府天文方(てんもんかた)が造暦の実務で大きな…
国家の制度から陰陽道が姿を消しても、方位観、干支、暦注、吉凶判断、民間のまじないといった文化はその後も続きました。日めくりに並ぶ六曜や、家を建てるときの方位…
01|明治政府が向き合った陰陽道は古代のままではなかった
古代の陰陽寮は、中務省(なかつかさしょう)に属して天文・暦・占術・時刻管理を扱った律令官司でした。平安期以降は陰陽師の実務や祭祀が発達し、賀茂氏・安倍氏などによる家学化が進みます。近世に入ると、安倍氏系の土御門家が幕府の政策と結びつき、地方の陰陽師などを統制する権威を強めました。
つまり、明治政府が向き合った「陰陽道」は、奈良時代の陰陽寮そのものではありません。長い歴史のなかで何度も組み替えられてきた、制度と家職(かしょく)と宗教実践の複合体でした。ここを押さえておくと、この後の変化が読みやすくなります。
02|官制の作り直しのなかで陰陽寮が廃止される
明治維新後、新政府は旧来の朝廷官制・身分制度・宗教行政を大きく再編しました。その過程で陰陽寮も廃止され、暦や天文の業務は近代国家の新しい機関へ組み替えられていきます。近世に土御門家が持っていた陰陽師支配の権限も、そのままでは維持されませんでした。
陰陽道だけが単独で狙われたと考えるより、幕藩体制・朝廷家職・宗教者統制をまとめて近代国家の制度へ作り直す大きな動きの一部と見るほうが、実態に近いといえます。
03|明治3年の太政官文書が示していること
国立公文書館デジタルアーカイブには、明治3年(1870)11月29日付の「陰陽道聴務者処分」という太政官(だじょうかん)文書が残されています。近世陰陽道研究では、この時期の政策を、土御門家を中心とする陰陽道組織が解体されていく転換点として扱ってきました。
ただし、個々の布告や達(たっし)が何を対象とし、どの権限をいつ失わせたのかは、文書単位で読み分ける必要があります。一枚の法令だけで陰陽道のすべてが禁止された、と単純化してしまうと、実際の経過を見誤ります。
04|暦と天文の知識は近代の機関へ引き継がれた
陰陽寮が担ってきた暦・天文の知識は、制度が解体されたからといって不要になったわけではありません。近世にはすでに幕府天文方(てんもんかた)が造暦の実務で大きな役割を果たしており、明治以降は西洋天文学を基礎とする近代的な暦・天文行政へ再編されていきます。
明治5年(1872)には太陰太陽暦から太陽暦への改暦が決定され、翌1873年から新暦が施行されました。古い暦文化がまとめて消えたのではなく、国家が採用する標準の暦が入れ替わった、と捉えると流れがつかめます。
05|方位・暦注・占いは民間で生き続けた
国家の制度から陰陽道が姿を消しても、方位観、干支、暦注、吉凶判断、民間のまじないといった文化はその後も続きました。日めくりに並ぶ六曜や、家を建てるときの方位取りを思い浮かべると、そのしぶとさがわかります。
これらには陰陽道と関わりの深いものもあれば、神道・仏教・修験・民間信仰・中国の術数など、別の系譜から来たものもあります。ですから「明治政府が陰陽道を廃止したので、日本人は方位や吉日を気にしなくなった」という説明は成り立ちません。制度がなくなることと、文化が受け継がれることは別の話です。
06|「陰陽師が消えた」の意味を分ける
「陰陽師が消えた」という言い方も、指している中身を確かめたいところです。ここでいう陰陽師とは、律令の官職や土御門家の支配下にあった職能としての、歴史上の陰陽師を指します。
現代に「陰陽師」を名乗る人がいることや、陰陽道に由来するとされる文化が親しまれていることは、それとは別の事柄です。歴史上の制度と職能が終わったことと、その名前やイメージが今の文化に残っていることは、両立します。
07|制度・機能・文化は違う速さで変わる
陰陽道の近代化をたどるときは、少なくとも三つの層に分けて見ると整理しやすくなります。
- 公的制度――陰陽寮や家職、認定・統制の権限
- 実務機能――暦・天文・時刻管理など、別の制度へ移された仕事
- 文化・習俗――方位観、暦注、占術、民間信仰など、形を変えて残った要素
この三つは同じ日に終わりません。制度が廃止されても機能は別の機関へ移り、文化は社会のなかで姿を変えながら続いていきます。近代化を「迷信が一日で消えた物語」として読まずに済むのは、この区別があるからです。
陰陽道が一日に消えたのではなく、公的制度・実務機能・文化習俗が別々の形で変化しました。
国家公認の職制や権限は制度改革で解体されます。
必要な機能は近代国家の別制度へ移管されます。
国家制度とは別に、形を変えながら社会へ残ります。
08|「廃止」と書かれた資料に出会ったら
陰陽道の近代について書かれたものを読むときは、廃止されたのが官職なのか、統制の権限なのか、それとも民間の習俗そのものなのかを確かめてみてください。多くの場合、消えたのは前の二つで、三つ目は形を変えて残っています。
国立公文書館デジタルアーカイブでは、明治初年の太政官文書を実際に閲覧できます。原文にあたってみると、教科書的な一行では見えなかった制度改革の手触りが伝わってきます。
参考:国立公文書館デジタルアーカイブ「陰陽道聴務者処分」 / 林淳『近世陰陽道の研究』吉川弘文館 / 国立歴史民俗博物館「陰陽道と伝承文化」 / 国立天文台暦計算室「日本の暦」関連資料
※「陰陽道廃止」と記された資料を読むときは、官制・家職・統制権の解体と、民間文化の継続を分けて受け取ると誤解を避けられます。