「陰陽五行説は何年にできたのですか」と聞かれると、ひとつの年号で答えたくなります。ところが、陰陽の考えと五行(ごぎょう)の考えは、もともと別々の流れから生まれたもので、最初から完成したひと組だったわけではありません。戦国から秦漢(しんかん)期を中心とする長い時間のなかで少しずつ結びつき、やがて暦や医学、占術といった分野へ広がっていきました。
この記事では、何がいつ現れ、どの段階でつながったのかを順に追います。年号をひとつ覚えるより、流れをつかむほうが実際の理解に役立ちます。
成立の時期を考えるときは、次の五つを分けておくと混乱しません。
五行の古い資料としてよく挙げられるのが『尚書』洪範(こうはん)です。ここでは水・火・木・金・土が並べて示され、それぞれの性質が説明されています。
戦国から秦漢期にかけて、自然や社会、政治、暦をひとつの秩序として説明しようとする思想が発達します。そのなかで、陰陽と五行を並べて語る場面が増えていきました。
漢代に入ると、陰陽と五行は季節、方位、天文、政治、身体などと広く結びつき、世界を相関的にとらえる枠組みのなかで重い位置を占めるようになります。
成立の過程をたどると、のちの時代に加わった対応や解釈がかなりあることが見えてきます。そこで「後から足したのだから全部にせもの」と切り捨てたくなるかもしれませ…
01|何をもって「成立」と呼ぶのか
成立の時期を考えるときは、次の五つを分けておくと混乱しません。
- 陰陽という対の概念が文献で確認できること
- 木・火・土・金・水という五行の枠組みが確認できること
- 陰陽と五行が互いに結びつくこと
- 季節・方位・色・身体などの対応が整理されること
- 政治や暦、医学、占術の現場で実際に使われること
これらが同じ時期に一斉に始まったわけではありません。言葉が初めて現れた時期、二つの考えが接続した時期、体系として整った時期、広く使われるようになった時期は、それぞれ別の出来事です。ひとつの年号ですべてをまとめようとすると、どこかで必ず無理が出ます。
02|五行の古い層をつたえる『尚書』洪範
五行の古い資料としてよく挙げられるのが『尚書』洪範(こうはん)です。ここでは水・火・木・金・土が並べて示され、それぞれの性質が説明されています。
ただし、この段階の記述に、のちの時代に整えられた五行の対応表をそのまま重ねて読むことはできません。季節や方位、色との相関は後から加わった部分が多く、初期の史料にさかのぼらせて当てはめると実際の歴史からずれてしまいます。五行そのものの考え方は五行とは何かで整理しているので、あわせて読むと段階の違いがつかみやすくなります。
03|陰陽と五行が結びつくまで
戦国から秦漢期にかけて、自然や社会、政治、暦をひとつの秩序として説明しようとする思想が発達します。そのなかで、陰陽と五行を並べて語る場面が増えていきました。
この統合の歴史を説明するとき、鄒衍(すうえん)に代表される陰陽家の活動がよく取り上げられます。もっとも、ひとりの思想家がある年に陰陽五行説を完成させたと考えるより、複数の思想と文献、実務が長い時間をかけてつながったと見るほうが史料に沿います。陰陽の側の考え方は陰陽とは何かで、善悪の二分ではなく関係と変化を読む枠組みとして説明しています。
一つの完成年を置くのではなく、複数の思想と実務が長い時間をかけて結びついた過程を追います。
『尚書』洪範などに五行の古い代表的記述が見られます。
自然・社会・政治・暦を説明する中で両者が結びついていきます。
季節・方位・天文・政治・身体などとの対応が大きく発達します。
中国由来の知識が律令制度・陰陽寮・宮廷実務などの中で再編されます。
04|漢代に対応体系が大きく育つ
漢代に入ると、陰陽と五行は季節、方位、天文、政治、身体などと広く結びつき、世界を相関的にとらえる枠組みのなかで重い位置を占めるようになります。
『淮南子』天文訓には、天文・季節・方位・陰陽・五行を関連づける体系的な記述が見られます。いま私たちが思い浮かべる「陰陽五行の大きな対応表」に近い構造は、このあたりで形を整えていきました。
とはいえ、今日知られる対応のすべてが漢代に一度でそろったわけではありません。医学、暦、術数、宗教と、分野ごとの組み合わせ方はその後も変わり続けます。
05|後から加わったものは「偽物」なのか
成立の過程をたどると、のちの時代に加わった対応や解釈がかなりあることが見えてきます。そこで「後から足したのだから全部にせもの」と切り捨てたくなるかもしれませんが、これも行きすぎです。
古い核に新しい要素が結びつき、その組み合わせが長く使われれば、変化そのものが歴史の一部になります。「最初から全部そろっていた」とも「後世のものに価値はない」とも決めず、どの時代に何が加わったのかを追うほうが実像に近づけます。
06|日本の陰陽道はまた別の歴史をもつ
中国で育った陰陽・五行・暦・天文・術数の知識は日本へ伝わりましたが、完成した「陰陽道」がそのまま運ばれてきたわけではありません。
日本の陰陽道は、こうした知識が律令国家の制度や陰陽寮(おんみょうりょう)、宮廷の実務、祭祀のなかで組みかえられてできあがった歴史的な体系です。陰陽から五行へ、陰陽五行説から日本の陰陽道へと一直線に進んだとは考えず、それぞれの段階と、その社会で何に使われたのかを分けて見てください。
07|古典を引くときのこつ
成立の歴史を調べるうえで、古典の一節を引くことには意味があります。ただし、引用は権威づけの飾りではありません。短い原文か翻訳を示したうえで、その一節から確認できることと、その一節だけでは確認できないことを分けて書くと、後世の完成形を古い史料に読み込む失敗を避けられます。
後世の注釈や体系書にも、それぞれの価値があります。初期の史料は「その時点で何が確認できるか」を見るための資料で、後世の資料は「後代の人がそれをどう整理し、何と接続したか」を見るための資料です。古い資料ほど常に上、という単純な順位ではありません。
08|「いつ」より「どうつながったか」
陰陽五行説の歴史を理解するには、完成年をひとつ決めるより、何が、いつ、何と結びつき、誰に、何のために使われたのかを追うほうが有効です。
政治、暦、医学、占術と、新しい接続が生まれた背景には、それを必要とした社会や制度がありました。成立の過程を追うと、思想の形だけでなく、それを使った人びとの暮らしや政治の姿まで見えてきます。
09|自分で調べてみるなら
まずは『尚書』洪範と『淮南子』天文訓を、現代語訳つきの本で読み比べてみてください。同じ五行という言葉でも、扱いの細かさがまるで違うことが実感できます。そのうえで、気になる分野(暦、医学、方位など)に絞って専門書へ進むと、対応表の由来を自分でたどれるようになります。
10|参考資料
※この記事では、ひとつの史料や年号だけで陰陽五行説全体の完成を決めつけていません。後世に加わった部分も、歴史の一部として扱っています。