節分の豆まきの由来として名前が挙がることの多い追儺(ついな)は、疫病や災厄をもたらすと考えられた疫鬼を追い払うための儀礼です。中国由来の儀礼を背景に持ち、日本では宮中の年中行事として受け入れられました。
豆まきと同じものなのか、陰陽師が行った術なのか。そのあたりは混同されやすいところです。ここでは宮中の追儺の姿から順に見ていきます。
宮中では、大晦日に疫鬼を逐(お)う儀礼として行われ、方相氏(ほうそうし)などが登場する形式が知られています。宮内庁書陵部が所蔵する『追儺図』は、後世に伝わっ…
同じではありません。古代から平安期の宮中の追儺と、現代の「鬼は外、福は内」という豆まきのあいだには歴史的なつながりが論じられていますが、両者をそのまま一つの…
追儺で問題になる鬼は、疫病や災厄を人の姿に見立てた疫鬼です。角のある鬼の造形や、鬼退治の物語に出てくる鬼とは、成り立ちが重なりません。
追儺は宮中の年中行事として理解すべきもので、安倍晴明や陰陽師だけが担った秘術ではありません。テレビや小説の影響で結びつけて語られがちですが、史料の上ではそう限定できません。
由来をたどるときは、時代の層ごとに分けて資料を当たると混乱しません。中国由来の儀礼としての背景、日本の宮中年中行事としての追儺、中世以降の節分や鬼払いとの接…
01|宮中で行われた追儺
宮中では、大晦日に疫鬼を逐(お)う儀礼として行われ、方相氏(ほうそうし)などが登場する形式が知られています。宮内庁書陵部が所蔵する『追儺図』は、後世に伝わった宮中追儺の姿を考えるための手掛かりになります。
ただし、絵画資料に描かれた一場面を、すべての時代に共通する標準の形と見ることはできません。儀礼の細かな作法は時代によって動いており、どの史料に基づく話なのかを一つずつ確かめる必要があります。
02|節分の豆まきと同じものなのか
同じではありません。古代から平安期の宮中の追儺と、現代の「鬼は外、福は内」という豆まきのあいだには歴史的なつながりが論じられていますが、両者をそのまま一つの儀礼と見るのは話を単純にしすぎです。
中世以降、寺社や民間の鬼払い、節分の行事、追儺の系統に連なる儀礼が重なり合いながら、現在の形へ展開していきました。豆まきは、そのいくつもの流れが合流した先にある行事だと考えると実態に近くなります。
中世以降の寺社・民間の鬼払いなどが重なりながら現在の節分へ展開した過程を分けて見ます。
大晦日に疫鬼を逐う宮中年中行事として行われました。
「鬼は外、福は内」などで知られる現在の行事で、古代追儺と完全に同一ではありません。
03|追われる鬼と、日本の鬼文化の違い
追儺で問題になる鬼は、疫病や災厄を人の姿に見立てた疫鬼です。角のある鬼の造形や、鬼退治の物語に出てくる鬼とは、成り立ちが重なりません。
説話や仏教、山岳信仰、各地の民俗、現代の創作に登場する日本の鬼は幅が広く、追儺の疫鬼だけで全体を説明することはできません。鬼という言葉の中身は、時代と場面によって入れ替わります。
04|陰陽師だけの秘術ではない
追儺は宮中の年中行事として理解すべきもので、安倍晴明や陰陽師だけが担った秘術ではありません。テレビや小説の影響で結びつけて語られがちですが、史料の上ではそう限定できません。
当時の災厄への対応は、陰陽道、呪禁(じゅごん)、宮中の祭祀、仏教の儀礼など複数の系統が並び立っていました。追儺もその時代環境のなかに置いて読むと、位置づけがつかみやすくなります。陰陽道全体の流れは陰陽道の歴史でも扱っています。
05|追儺と節分を調べるときの順序
由来をたどるときは、時代の層ごとに分けて資料を当たると混乱しません。中国由来の儀礼としての背景、日本の宮中年中行事としての追儺、中世以降の節分や鬼払いとの接続、そして現代の豆まき。この四つを一続きの直線とみなさず、それぞれの史料で確かめていきます。
節分の由来を紹介する記事や解説は数多くありますが、どの段階の話なのかが書かれていないものも少なくありません。宮中の儀礼を指しているのか、寺社の行事を指しているのかを見分けながら読むと、由来の説明の食い違いにも戸惑わなくなります。